私のアマチュア無線歴 





   1967年頃      いとこのJA0FAV(残念ながら今は無線をやめてしまっている)の影響でハムになろ
                うと一大決心をして、通信教育で勉強を始める。当時中学生だった。
                また、このころより真空管ラジオにロングワイアーでBCLを始める。

   1969年頃      親に内緒で電話級アマチュア無線技士の国家試験の願書を出したが、ちょうど学校
                の何かの試験日と重なり、親と大げんかをしたあげく、受験することが出来ずに野望
                は潰えた。

   1978年頃      たまたま通っていた専門学校に「無線をたく」の友人がいたので、これに触発されて
                、10年前に一旦潰えたかに見えた野望が再燃する。

   1979年10月    電話級アマチュア無線技士の国家試験を受験、めでたく合格。

   1980年3月     当時の居住地、金沢市にてアマチュア無線局開局、コールサインはJH9CDZ。もう
                1年早かったら「JA9」だったのに・・・と悔やまれる。もっとも最初に志したときに
                合格して開局していればJA9のF〜Hあたりだったはずである。

   1982年4月     第2級アマチュア無線技士の国家試験を受験、なんとか合格。
                同時に第1級アマチュア無線技士の国家試験を受験(電気通信術のみ)、科目合格。
                しかし、このころから多忙になり、結局1アマの無線工学、法規の試験はうけること
                が出来ず、科目合格は失効。

   1982年12月    50w免許がおりる。この当時は10Wを超える局はすべて実地検査があったのです。
                50wの場合は、電鑑持ち込みの検査だったのですが、後にHF100wを増設する
                ことを考えて、とりあえずV・Uで固定免許をおろしておいたほうが検査料が安くあが
                るようだったので、50wの固定ということで、電鑑の検査官が我が家に来て、自宅
                でスペアナの洗礼をうけることとなった。

   1987年10月    石川県より富山県にQSYする。これから2年間程、まともにアンテナの設置ができ
                なかった。

   1989年春      クリエートの15m自立タワーを設置、しばらく落ち込んでいたアクティビティが再び
                復活する。

   1993年頃      パケット通信にはまってしまい、RBBSも開設。あちこちのミーティングなどにも積極
                的に参加するようになった。
                今でも親しくおつきあいしている局は、このころに知り合った方々です。

   1999年秋      再びQSYすることが決まり、ローカル総動員でアンテナ、タワーの解体を行う。
                これにより再びアクティビティが下がることとなった。

   2000年3月     高岡市より氷見市へQSY、自宅の基礎をしたときに、同時にクリエートの15m自立
                タワーの基礎だけ設置。
                しかし、なかなか趣味に回す資金が無くて、向こう1年半、基礎のままだった。

   2001年秋      タワーのみ組み上げて完成。しかし、またまた資金不足でアンテナは翌年になった。

   2002年夏      ようやく資金のめどが付いて、アンテナ工事をする。クリエートの218CとCL6DXZ
                を設置。しかし、サイクルの終わりで50MHzのコンディションはすでに終わっていた。
                次のサイクルに期待。
                たくさんあったリグを整理、TS950SDXとTS2000の2台にほぼ集約した。

   2004年1月     現在に至る。しかし、最近アクティビティ低め。何かの機会を見つけて再び復活する
                予定。






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