2009年春、津軽ツアー



今年も恒例の津軽詣に行く日がやってきました。
最初に金木の全国大会に出てから今年で6回目、よくもまぁ毎年くじけずに出ているものだと我ながら感心します。

昨年は夜中に一睡もせず12時間走って、翌朝そのまま本番に望んだため実力の10パーセントも出せなかったので、今年は前日入りで行くことにしました。



5月2日

この日は土曜日なので本来は仕事をしなければならないのですが、何とか1日分頑張って先行して片づけたので、安心して仕事のことを考えずに出発できることになりました。

朝7時前に起床、前日にほぼ準備は出来ていたので、そそくさと荷物をレガシーに積み込み、8時前に自宅を出発しました。
昨年の5月は異常にガソリン価格が上昇していたこともあって、我が家の営業車であるフィット君で行ったのですが、今年はガソリン価格も下がった事だしやはり快適さならレガシーということになりました。

朝の渋滞を避けて能越道から北陸道に入り、一路北を目指します。
普段よりもかなり交通量が多く、滅多なことで渋滞なんか発生しない田舎の北陸道なのですが、流れが悪いところがあちこちで見受けられました。これもETC上限1000円の影響でしょうか。

日本海沿岸道終点の中条ICは混むのではないかという気がしたので、ひとつ手前のICで降りて海岸沿いにR113、R345と変化のあるお気に入りの道を快適に走ります。

いつもここを通るときに目にするのですが、R345がR7に合流する直前の漁村に蛸が干してあります。毎回ここへ来たときには写真を撮ろうと思うのですが、今回も先を急ぐ旅なので見るだけでそのまま通過しました。

毎回利用している仁賀保のセルフスタンドで給油、なんと3Lのレガシーで12.5L/kmも走りました。アンビリーバブルです。

由利本荘から日本海東北道に入り、秋田道で白神二ツ井まで走ります。以前よりかなり高速道路区間が延びて、秋田県内は8割方高速で抜けられるようになり、大変便利になりました。ただ過疎地域を走っているのでGWなのに交通量も異常に少なく、こんな状態だと日本海沿岸道と日本海東北道がつながることは永久にないだろうと思います。

青森県に入る頃には日も暮れて、宿泊地の五所川原市のビジホには午後8時着、所要時間はほぼ12時間でした。日中走ると13〜14時間かなと思っていたのですが、特に渋滞にも遭わなかったおかげで若干早く着きました。



5月3日

この日は弘前大会のシニアの部に出場します。
普段なら夢の中の6時に起床、ホテルは4日連泊なので必要なものだけ持って、弘前市民会館へ向かいます。
弘前市内は何回走ってもよくわからないので、今回もナビにお任せで走り、50分の道のりでした。




弘前は去年に続いて2回目なので、勝手もある程度わかって割と落ち着いて演奏できました。
まぁ、実力の半分は出せたかなと思いますが、さすがに47人もエントリーしている激戦のシニアの部では今年も入賞ならず惨敗でした。
プロ級の人もたくさん出ていますし、大きな教室の主宰をしている人が何人もいたり、ここを勝ち抜くのはなかなか至難の業かもしれません。

ただ、今回皆さんの演奏をじっくりと聞くことが出来たので、弘前用の傾向と対策も少しわかったような気がします。来年また頑張ります!

出番も終わって友人、知人達の出番までしばらく時間があったので、弘前城公園を一周してきました。
桜はほぼ終わりで葉桜状態、遅めの八重桜などは咲き始めた頃でこれからといったところでした。
桜が咲いていようが咲いていまいが関係なく、人出は凄いです。笛太鼓、シンバルの小さいようなので登山ばやし(かな?)をやっている団体もいたりで、大変賑わっていました。

















5月4日

この日は出番もなくオフ。
何か真ん中に一日空いてしまうのはもったいないのですが、今日は皆さんの応援団ということで、朝から金木会場へ向かいます。
弘前のシニアは45歳以上ですが、金木のシニアは60歳以上なので、私は翌日の一般B級に出場します。

シニアの部とC級に知人友人が数名出ますので、その写真撮りと応援です。
弘前は撮影するのに許可料が必要ですが、金木は全く自由です。適当な場所に陣取ってカメラを設置して準備万端、皆さんの登場を待ちます。

ジュニア、中高生の部も観戦しましたが、レベルが異常に高いです。そのままC級やB級に出ても入賞しそうな子がたくさんいます、恐るべし少年少女達です。

シニアは今年から弘前が一発勝負になったために、弘前、金木と転戦できるようになりました。そのため結構強豪の初出場が多くて、今年はびっくりするほどレベルが上がりました。私が金木のシニアに出場するころはB級並のレベルに上がっているかも知れません。

C級では、同門下の妹分(マイミクのかすみンちゃん)が大條賞に入賞、ネットで知り合って毎年飲み会をしている青森の友人(こちらもマイミクのサード原さん)も入賞しました。私と違って皆さん若いのでこれからが楽しみです、来年に向けて更なる飛躍を期待しています。

表彰式が終わった後は、金木大会恒例の大條先生のガイドによる史跡巡りバスツアーです。私は初回から6回つづけてこちらにも参加しています。せっかくはるばる津軽まで来たのだから、先人達の供養もしないといけないという思いで、通っています。
川倉地蔵尊で先人達に感謝して法要を行い、その後仁太坊記念碑、神原の渡し跡を回って帰ってくるコースです。今年はスタート時間が遅かったので、大急ぎでのツアーになり、出発地点の金木公民館に戻ったときは真っ暗でした。






5月5日

この日は、金木の一般B級と団体B級にエントリーします。

早めに会場へ入り、一番良い場所でカメラとビデオのセッティングをしてから控え室へ。
今年は一番乗りでした。
皆さんが音を出し始めて騒然とすると自分の音がよくわからなくなるので、静かなウチに頑張って弾き込んでおきました。
B級は19番目、弘前に続いてこちらも早めの順番です。

金木は6回目でもう慣れたもので、ほぼ平常心で弾くことが出来ましたが、元来夜型人間のため午前中は頭が覚醒していないので、いまいちノリが悪かったのは否めません。帰ってきてから師匠にも「テンポと間がいまいちだった」という指摘を受けました。

結果はこちらも惨敗、一般B級は超激戦グループで59人中8人に入るのはなかなか至難の業です。ただこちらも来年に向けての傾向と対策が何かわかったような気がしましたので、これから来年の春に向けて大幅軌道修正をしなくてはなりません。

午後の団体戦は、同門の6名による混成チームで、オーソドックスな木田林松栄の新節合奏曲を弾きました。私的には少しは今風にアレンジして欲しいと思っていたのですが、鬼の師匠がアレンジなしの「直球勝負」でいくんだと言うもので、入賞できればラッキーかなぐらいに考えていましたが、結果9団体中4位入賞でした。

今回の団体戦もですが、とにかくチューニングにこだわって、直前までチューナー2台でチューニングチェックをしていました。チューニング係は私とかすみンで、各3人ずつ受け持ちました。ぴったしにゼロチューニングしていると6人で弾いても全くうなりのないきれいな迫力ある音になります。これにあとはアレンジをしっかり加えることが出来れば3位以内入賞も夢ではないのですが、鬼の師匠が直球勝負にこだわっている限りこれ以上の結果は出せないでしょう(^^ゞ








最後は去年から始まった金木名物のトーナメント戦です。
各段階で課題曲が違い、今年は1回戦が津軽よされ節、2回戦が津軽小原節、3回戦が津軽あいや節、準決勝が津軽三下り、決勝戦は去年と同じく津軽じょんから節でした。
ウチの師匠は1回戦の津軽よされ節は無事突破したのですが、2回戦で柴田愛ちゃんと当たってしまい、ここで玉砕してしまいました。相手が愛ちゃんじゃ仕方ありませんねぇ。師匠の2回戦の津軽小原節は私的になかなか良かったと思います、来年は師匠のこの津軽小原節をコピーして弾こうかと思いました。





優勝は去年準優勝だった米澤希英さん、さすが貫禄です。準優勝は地元青森の葛西頼之さん、彼はまだ20歳ということですが実に素晴らしい演奏でした。私的には葛西さんの勝ちかなとは思いましたが、これは審査員の好みの問題もあるのでしょう。





表彰式が終わったあとは、毎年恒例の飲み会です。
一昨年にネットで知り合った地元の友人とはじめた飲み会ですが、今年で3回目になりました。
三絃小川会の主宰の先生が五所川原市内やっておられる「だだん」という民謡酒場で飲み会がスタートしました。隣のテーブルには同じく金木のB級に出場した神奈川からの3人組がいらっしゃいまして、皆さんで酔っぱらって三味線を弾いたり、唄を唄ったりと今年も楽しい時間を過ごすことができました。

来年も5月5日の夜には「だだん」で飲み会、オフ会?をすることを約束して別れました。






5月6日

5日ぶりに富山に帰ります。

連日ホテルと大会会場の往復で、土産物を買う暇も無かったので、帰り道に碇ヶ関の道の駅でまとめて土産物を仕入れました。

ETC上限1000円の恩恵を受けるには、東北道、磐越道、北陸道と走れば良いのですが、このルートを走ると約200キロ遠回りになるし、渋滞の起きやすい東北道を走らないといけないので、行きと同じく日本海側をトコトコ帰ることにします。

実際に東北道、磐越道、北陸道と言うルートで帰った師匠一行は、東北道でひどい渋滞にはまって16時間かかったそうです。950キロで16時間だから、アベレージ60km/hで、あまり高速道路の意味をなしていないですね。
ちなみに日本海側を走った場合750キロを12時間なので、アベレージはこちらも約60km/h、遠回りした師匠一行はなんだか骨折り損のくたびれもうけって気がしませんか。

行きと同じ仁賀保のセルフスタンドで給油、これで自宅まで余裕の無給油で帰ることができます。給油後ほとんど信号のない国道をちんたら走っていたら、何と平均燃費計がこんな数字を示しました。信号があるとがくっと数値は下がりますが、驚きの数字です、軽四やリッターカーではなくて3Lのレガシーですから。





新潟のいとこ宅で2時間ほど油を売って、通い慣れた単調な北陸道をラストスパートします。
2日に家を出発してからほぼ5日間全く雨に遭っていなかったのですが、富山県に入ってから土砂降りになりました。バンパーやフロントガラスに付いた虫がきれいになるからよかったようなものの、バイクだったら最後の最後に恨み節を言いながら合羽を着ているんだろうなぁ、と苦笑しました。

新潟での2時間を差し引くと、帰りは12時間半の所要時間でした。
帰宅後給油をして燃費を計算すると、12.9km/Lでした。性格上そんなにエコランする人間ではないので、真面目にエコランすれば13キロは越えると思います。

というわけで今年の春の一大イベントも無事終了しました。
いろいろと課題も出てきて、その対策も垣間見えたような気がするので、来年に向けてまた頑張らなければと思います。




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